月明かりの下、木々の間を駆ける少女の姿があった。
 雪オオカミを思わせるような純白の巻布が、重力の影響を受けてなどいないように、進行方向と逆になびいている。
 ためらいのないその勢いは、まるで何かから逃げているようでさえあって。
 だが、その背後には、追跡者の影も形もない。
 しばらくの間駆けに駆け、そのうちに視界が開けて見覚えのある場所に辿り着いた。
 夜空を鏡のごとく映している湖の周りを、蛍のようにマナの光が淡く瞬いている場所。森の最奥地。
 そこでようやく、少女―――ムーングロウは足を止め、額の汗を乱暴に拭う。
 呼吸を整える為に息を吸い込むと、高濃度の魔力を含んだ空気が肺を満たすのを感じた。
 夏の風が、帽子に押さえられた銀の髪と、木々の梢を揺らす他に、何の物音もしない。
 森と同じ色の瞳で睨むように挑むように、パッフェルベルの街の方向を振り返った。
 磁場の影響か、日によって地形が分からなくなるこの森の奥には、もうエルフ以外は来れないはずだ。
 だから自分からこの場所を出るまで、あと数日は「彼」と顔を合わすことはないだろう。
 そのことに、知らず安堵の息をつく。
 次いで喉の渇きを覚えて、休息をとろうと湖を覗き込む。
 と、きらりと水面に銀の輝きが反射した。
 そっと首元に手をやると、指先に精緻な花の細工が触れる。
 尋常でない風の力を感じるだけではなく、作り手のセンスが現れたのだろうデザインの良い首飾りは、確かに自分も気に入っていて。
 鏡に映した姿を見てみたいと、思っていたはずなのに。
 湖に映る自分は、まるで見たこともないような表情を浮かべていた。
 首飾りに宿るマナの真名がごとく荒れ狂う風のように、言いようのなかった感情を思い出す。

「……レオさんが悪いんです」

 自分の感情が把握仕切れず、数時間前も呟いた言葉を、再度吐き出した。
 だが、呟いたら少しは楽になれるかと思ったのに、よけいに苦しくなるだけだった。

「…もう。 もう! もうもうもう!!」

 ばしゃばしゃと湖面に手を打ち付け、自分の虚像を壊す。
 そのまま濡れた手を拭いもせず、儀式道具を鞄から取り出した。
 執り行うは決闘の宣言だ。この際夢花でも影蜘蛛でも何でも良い。  八つ当たりをできる相手なら、好きなだけぶちのめせる相手なら、それで良い。
 戦っている間は、何も考えずに済むだろうから。
 だが、こんな時に限って、普段は絶滅してほしいと思っていた邪魔な魔物でさえ姿を現さず、地に属するマナが集ってきただけで。
 貰った首飾りの、その身に危険が近づき難くなるといわれる西風の加護が、こんな時に現れたのだろうか。

『……お守りくらいには、なると思います』

 月の光が金に輝いて、今は思い出したくない人物の姿が脳裏に浮かぶ。
 ……彼はあの後、自分の工房に来ただろうか。
 戸締まりも、張り紙もしてきた。
 ついでに、友達の野犬たちや、留守番役のウッドボックスに、指示も出してきた。
 その所為で、あのへそ出しツンデレ金髪男が強襲されたって、構うものか。
 だって。だってだって。

「……レオさんが悪いんですよ!」

 遠吠えの代わりに月に向かって叫ぶ。
 その首飾りを受け取ったのはたった数時間前だというのに、何年も前のことのように感じた。






 それは、今日の昼、学院の談話室で皆とお茶を飲んでいる時のこと。
 卒業はとっくに果たしているものの、学院で得られる知識にはまだまだ底が無く、図書館で新たなレシピを開発するのがムーングロウの日課だった。
 そしてそれは他の錬金術師達も差異はないらしく、寄り合い所と化した談話室には常に依頼や魔物の情報が集まって来る。
 丁度時期的に、湿原の奥地の存在が報告され、新素材が発見されたことから、いつもより活気が満ちていた。 

「あ、ムーングロウさん」
 
 声をかけられて、水出しした香草茶のグラスから視線をあげる。
 喫茶kanonのウェイターであり、何かと学院で話題のネタにされているレオルディスが、テーブルの向こうでちょいちょいと手招きしていた。
 
「何ですかー?」

 椅子から立ち上がり、ほてほてと相手のところに向かう。
 瞳が大きい為に、周りから時折実際の年齢よりも幼く見られることもあるが、全体的に眺めるとムーングロウは女性にしては身長が高い方だった。
 男子とはいえ、まだ成長過程のレオルディスとは自然、視線の高さも似たようになる。

「はい、これ」
「わあ、綺麗ですね!」
 
 レオルディスがこちらに差し出したのは、銀地に翡翠石の花飾りをあしらったチョーカーだった。
 新しく調合に成功したから、見せてくれるのだろうか。
 銀と深緑の取り合わせが見事に調和しており、魔力を内包したその宝石の輝きが決して安くはない代物だと知らせるが、かといって華美すぎもしないそれは、どんな場所でも似合いそうなデザインだ。
 ファッションにそれほど造形が深くないムーングロウでも、価値が伺い知れた。
 手にとって眺めてみる。それはまるで、若木の葉についた朝露に通じる美しさがあった。
 また、それと同時に、優秀な採取道具の役目も果たせるらしい。
 綺麗なものを見ることができた喜びで笑顔になりながら、相手に返そうとしたが、押しとどめるように、チョーカーを握らせられる。 
 意図が理解できなくて首を傾げると、説明するような言葉が添えられた。

「……お守りくらいにはなると思います。採取中の遭遇は、危ないでしょう?」

 レオルディスの発言に、動きを止めて目を瞬かせる。
 その言葉の意味を理解するまでに、数秒かかった。

「……え!? あ、あの……お気持ちは嬉しいのですけど、こんな高価なものを……」
「だって、この間ムーングロウさん、新しい採取道具が欲しいと言っていたじゃないですか」

 そう、確かに、草原での採取がもう少し楽になれば、という話しをしたことがある。
 あれは押し花の材料を採取する依頼が、再び斡旋所に掲示された日だっただろうか。
 12種もの魔法を扱える今の道具が不便だというのではないが、魔力の高くないムーングロウにとって、魔力が切れても珍しい素材を見つけられる質の高い道具は、憧れだった。
 平均的な人よりも魔物に逢いやすいムーングロウは、魔力を放出しすぎると、魔物を引き寄せてしまうという難点もあったから。
 けれど、その際口に出したのは、ほんの雑談程度のことだったはずだ。
 何かを企んでいるような笑顔で、どのような物が良いか聞かれはした、けれども。
 その時、実用性だけではなく、装飾品としての機能も持った―――そう、例えばイヴの持つような、彼女の髪と瞳の色に合わせて作られた看護道具が羨ましくて、視線を向けたりも、したけれど。

「……ええっと。 あー、うー……」

 まさか、本当にそんな高価なものを渡されるとは思わなくて、何を言えばいいのか戸惑う。
 こういう時は、どうすればいいのだっけ。
 自分のために作ってくれた、そうならば、受け取りを拒否するわけにはいくまい。何より目の前の道具は魅力的だ。
 かといって、こちらには、対価として渡せるような物は何もない。
 一人で唸ったり自らの頬を叩いたりしてあたふたしているムーングロウの一挙一動を楽しむかのように、レオルディスはにこにこ眺めている。

「ああ……こんなに面白……ええと、頑張って作った甲斐がありました」
「れおれおのきちくー」
 
 半ば悦に浸っているレオルディスに、通りすがったリンが小さく呟いた。
 
「リンさん、人聞きの悪いこと言わないー」

 呟きを聞き逃さず、笑顔そのままの表情でリンのこめかみをぐりぐりとゲンコツで押さえるレオルディス。
 そんなやりとりも、今のムーングロウの耳には入らない。

「あうー、いたいいたいいたいのだー、れおれおの幼女虐待のだー」
「……レオルはピラミッドの上の方に立とうと必死なんだな」
「食物連鎖の頂点ってことです…?」
「皆さん、元気ですね、うんうん」

 ゲンコツから逃れようと手をばたつかせるリンやその光景を眺めていた外野が好き勝手騒いでいたが、やっぱりムーングロウの耳には入らなかった。

「そういえばさっき食べられそうになりましたのです」
「えぇぇぇ? ペルちゃんを食べようとするなんて…ムーングロウさんがよく落ち着いてるねぇ…何とかは盲目なのかなぁ…」
  
 自分の名前の響きに、ようやく我に返る。
 何とかってなんだ。 後でルーシェさん呼び出し決定だ。
 いや、違う。そんなことより、今、大変な言葉が聞こえたような気が。

「ペルさん何に襲われたのですか!?」
 
 友人であるペルセフォネの危機とあっては、ひとまず悩んでいる場合ではなかった。
 見た目も実年齢も幼いエルフの少女はムーングロウにとって、護り、慈しまなければならない存在だ。
 そんな相手に危害を与えた相手を、そのまま見逃せない。
 いったい、どんな危険な魔物に出くわしたというのだろうか。
 だが、予想に反して、両手をあげて威嚇のポーズを取ったのは、先ほど自分に悩みの種を与えたレオルディスだった。
 
「失礼な。 ただ、何故か怖がってらしたので、こう……がおー、食べちゃうぞー、って」

 きゃーっ、とペルセフォネの声が上がる。その声音に怯えの響きはなく、むしろ楽しげだ。
 例えば高い高いをされた子どもがあげる歓声と、それは同一のもので。
 だからそのこと自体に、気にさわる要素など、全く無かったはずなのに。
 ……何故だろう。いつもなら微笑ましく思える光景に、胸がむかむかした。
 その感情がどこから来るものか、どうして起こったものか分からなくて、ムーングロウは戸惑う。
 これはそう、自分をこんなに葛藤させているくせに、相手があまりにも平然と悪戯しているからだ。
 きっとそうだ。

「…レオさん、ちょっと校舎裏に」
「え、なんでしょうー」 

 分からないことは嫌いだ。
 もやもやすることも。
 思考のループに陥って、何も考えられなくなってしまうから。
 だから相手にぶつけてしまえば、この感情の正体が分かるかも知れないと、レオルディスを引っ張るようにして連れて行く。
 外野陣の幾人かもぞろぞろとついてきていたが、別段人目を避けるほどのことではないと判断して、放っておいた。
 そこまで気にする余裕がなかったという方が、正解だったかもしれないが。
 もう下刻の鐘が鳴る時間帯だったが、夏の日はまだまだ長く、鐘塔の影が地面に色濃く落ちている。
 さて、強引に連れて来たはいいものの、何を言って良いのか結局分からなくて、視線を下に向けた。
 口を開きかけ、そしてまた閉じるを何度も繰り返す。
 しばしの間、張りつめた沈黙の空気が流れた。
 学院の方で聞こえる爆発音やキノコの鳴き声以外には、何も聞こえない。
 一方で、呼び出された理由がいまいち掴めてないレオルディスは、所在なさげに視線を彷徨わせた。
 と、やはり事態を掴めていないのか、きらきらと先ほどの続きを期待するようなペルセフォネの視線にぶつかった。

「……ええと、がおー?」

 視線に応えるように、この緊迫した空気を打破するために、再びレオルディスがオオカミの真似ごとをする。
 むかむかした。

「うー……」
「ん、どうかなさいましたか?」
 
 唸り声ではあっても、相手の反応を引き出せたことに満足したレオルディスが尋ねた。

「ペルさんにそういうのは禁止です!」

 びし、っと音の鳴りそうな勢いでムーングロウは指を突きつけた。
 まさかそんなことを言われると思っていなかったレオルディスが、先ほどのムーングロウとは逆に目を瞬かせる。

「……ペルセフォネさんじゃなかったらいいんですか?」
「ペルさんでなかったら……あー、うー……」

 あっけなく切り返されて返す言葉が思い浮かばず、迷子の犬のようにうろうろと辺りを落ちつきなく歩き回る。
 理屈的にはそうだ。間違ってない。
 そう、ペルセフォネ相手でなければ、別に構わないはずだった。
 レオルディスが、誰に、何をしようと。 
 ……自分に渡したように、高価なプレゼントを、他の誰かに渡そうと。

「……でなかったら?」

 言葉遊びが楽しいのか、嬉しそうな顔でじーっとこちらを見つめてくるレオルディス。

「……レオさんが悪いんですよ」
「はい」

 ため息とともに出たのは、そんな言葉で。
 返事をしているけれど、相手は絶対理解していないはずだ。
 自分ですら何に対してこんなに腹が立つのか、分かっていないのに。
 これは八つ当たりに近いものでしかないと、分かっているのに。

「黒キャラ気取ってる割にへらへらしてるし背が低いしツンデレだし」
「まあ、まだ15ですし」

 一度口から発された非難の言葉は止まらなかった。
 駄々をこねる子どもを宥めるようなレオルディスに、余計に苛立ちがつのる。
 自分より年下のくせに。なんだその冷静さは。

「なんですかこのチョーカーとか。 人に首輪でも付けた気でいるんですか?」

  しまった、と思ったときにはもう遅かった。
 流石にその言葉に、ちょっと傷ついたような表情をレオルディスが浮かべる。
 こんなことが本当は言いたかったわけじゃない。
 ……こんな表情をさせたかったわけじゃ、ない。

「……お気に召しませんでしたか? では、引き取りましょう。 処分はこちらでしますし」
 
 処分。
 たわんだ枝がはじかれるように顔を上げる。
 捨てられる、棄てられてしまう。
 考えるより早く、チョーカーを庇うように自分の首につけていた。

「…………すか」
「……?」

 喉が震えて掠れた声しか出ない。
 きゅっと拳を握りしめる。
 自分の髪と瞳の色に合わせて作られた、世界に一つしかない品
 気に入らないなんて、そんな。
 そんなことが、あるわけが。

「嫌なわけないじゃないですか!」
「そうですか、よかったです」

 そのほっとした様子に、ますます腹が立った。

「ああもう言いますよ一度だけです嬉しかったんですレオさんからのプレゼントが!」
「……そうですか」

 一気にまくし立てる。そうでもしないと。うっかり違うことを口走ってしまいそうだったから。
 にこにこと満足そうに相手は頷いている。
 
「綺麗だし4マナだし前から草原の採取道具が欲しかったし材料費がどんなに高かったかも知ってるし!」

 そう、誰より自分が一番分かっている。ずっと森の中で、ウッドボックスやアンノウンミストを求めていたから。
 どれだけ、この高ランクマナを得るのが、大変なことか。
 どれだけ、このチョーカーを作るのが、困難なことか。
 だからこそ、こんなにもあっさり渡す相手が。悔しくて。
 いつもはリディさん達と年相応にへらへらしているくせに。
 どうして。こんな時。だけ。
 
「流石に加工を優先した関係で内包する魔力は下がってしまったんですけれどね」
「なんでそんなに落ち着いてるんですか! 普段はもっとへらへらしてるくせに!」

 戸惑っているのは自分の側だけだ。
 そんな風に、何でもないことのように言う相手が、悔しくて。

「……あー、もしかしなくても、今、怒られてます?」

 怒って? 怒っているんだろうか。自分は。

「怒ってるはずがないでしょう何で私がレオさんのせいで怒る必要があるんですか!」
「いやだって口調が……ええと、一回深呼吸しましょうか」

 深く息を吐く。
 そう、怒ってなんかいない。ただ。
 ……ただ、自分は。

「はい、ではまとめてみましょうか?」

 目を閉じて、心を落ち着ける。
 綺麗な装飾品が嬉しかった。高価な採取道具に戸惑った。
 気軽に貴重な作品を差し出せる相手に嫉妬した。
 いろんな気持ちが渦巻いている中で、一番強いのは。

「……レオさんがわからないです」
「……わからない、ですか?」
 
 側でぽそりと「…せぇしゅんやね」などと呟いているミニデアの頬を横にひっぱりつつ、鸚鵡返しにレオルディスが尋ねる。

「何なんですかこれは?」
 
 首元に手をやる。金属のひんやりとした温度が手に伝わった。
 帽子の影に隠れて、俯いた表情は相手に見えないはずだ。

「ええと、お守り?」

 言葉の意味通りの答えが返ってきた。
 聞きたかったのは、そう言うことではなくて。

「……なぜ、私なんですか?」

 ゆるゆると顔を上げる。微笑みを作ったつもりだった。
 けれどそれは、少しのことで壊れそうな、脆く儚いものでしかなかった。
 何故、自分に渡したのか。もっと他に、渡す候補はいるだろうに。
 そこに、いったいどんな意図があったというのだろう。

 嬉しかった、それは確か。
 けれどそれと同じ強さで感じたのは、哀しさと寂しさ。
 こんなことをされたら、勘違いしてしまうではないか。
 自分がまるで、普通の。人間の女の子のようだと。
 自分はこの帽子をとることすら、本当の姿を知らせることすら、できていないというのに。
 そのことに気づいた瞬間、相手との遠さを突きつけられた気がして。

「ムーングロウさんに似合うと思ったので……っと、大丈夫、ですか?」
 
 今にも泣き出しそうな様子の相手に、流石のレオルディスも動揺したようだ。
 ぽふりと帽子越しに手のひらの温もりが伝わる。
 ムーングロウは唇をかみしめて、何も答えなかった。
 今、口を開いたら、きっと堪えきれずに涙が零れてしまうだろうから。

 その光景に、事態の急な展開に割り込むこともその場を離れることもできなかった外野の面々が、口々に囁き合い始めた。

「……なんだか出るに出られない状況だが見ていて面白いな」
「さてと、これからは迂闊にレオ君でも遊べなくなりそうだなぁ、残念無念」
「レオ様で遊ぶとムーングロウ様に一撃で沈められそうです。 がくぶる。」
「フィーセちゃん、あんまり他人の恋路を邪魔するのはよくないですよ? 馬に蹴られて何とやらと言いますし」

 好き勝手に紡がれる言葉に苦笑しつつ、レオルディスが問いかける。

「……誤解が凄いですが、面白いのでこのままにしておきますか?」
「ほうほう、誤解?」
「むしろ誤解がすごいのはレオ君だと思うよ」

 感情の波が収まって、ようやく普通の声を出すことができた。

「……そうですね。 別に、何でもなかったわけですし」

 そう。何もなかった。
 相手にとって、こうしてプレゼントを贈ることは「何でもない」ことなのだから。
 だから別に、自分が特別というわけでは、ないのだ。
 こちらが深刻になる必要など、何も。

「とりあえず。 レオルは僕のことを鈍いだの何だのと言えないと思う」
「…レオ様は、もうちょっと女心を理解したりするべきですよー…」
「は、何がですか?」

 校舎の陰に隠れつつ様子を見ていたレクスと、エイミアに抱きついていたフィーセリアに異口同音に言われて、眉根を寄せるレオルディス。

「だってムーングロウさんはまだ何か言いたそうじゃないか」
「……ええと、ムーングロウさん?」
 
 ためらいがちに問いかけるような眼差しがこちらに向けられた。
 普段ずれている癖に、何で余計なことだけ気づくんだろうか、あのエルフは。

「何でもないったらないです!」

 居たたまれずに猛烈な勢いで駆け出す。
 最後に耳に届いたのは、リリの「いいたいけどレオ君には今はわからない、と判断されたのですよ」と言う台詞だった。

 そうだ、レオルディスは何も分かっていないはずだ。
 なのに、分かって欲しいと思う自分が傲慢なんだ。
 知らせていないのだから、告げていないのだから。
 今まで姿を偽って、騙していた自分でも、同じように受け入れてくれるのかと。

 即座に工房に戻り、荷物を纏める。
 しばらく、街には居ないつもりだった。
 自分の気持ちに整理がつくまで、レオルディスと顔を合わせることができなさそうだったから。
 そうでもしないと、芽生えかけたこの気持ちに、名前がついてしまいそうで。



「……レオさんが悪いんです」

湖のほとりで体育座りをし、その膝に顔をうずめながら、何度もつぶやいた言葉をもう一度紡ぐ。
首飾りをもらった時に言いたかったことが、今になってようやく分かったのに。
あんな風に別れてしまったら、今更どんな顔をして、その言葉を伝えればいいのか。

「……ありがとう、って、言えなかったじゃないですか」





Fin






◇未必の故意:法律用語
行為者が、罪となる事実の発生を積極的に意図・希望したわけではないが、自己の行為から、ある事実が発生するかもしれないと思いながら、発生しても仕方がないと認めて、行為する心理状態。故意の一種。

◇未必の恋:ネット造語
行為者が、恋愛感情の発生することを積極的に意図したわけではないが、 自分の行為から場合によってはその結果が発生するかも知れないし、そうなってもしかたがないと思いながら、なおその行為に及ぶときの意識。

*レクサー的には「これ以上踏み込んだら恋になるかもしれないけれど、踏み込まないのでそこまではいかないぎりぎり1歩手前の状態」という感じで使いました。








素材お借りしました↓

ちなみに 素材名は 「籠の中の月」(何)